![]() |
|
Spaces home 街角から.....ProfileFriendsBlogMore ![]() | ![]() |
|
6/6/2008 バガテル植物園のバラパリは、相変わらずの天気ですが、
ブローニューの森にあるバガテル植物園のバラを見てきました。
もう6月なので、早く見に行かないと、思いつつ今頃になってしまいました。 今日は、太陽も出ていないのでバラを撮るにはとてもよい日です。 素人の私たちでは、太陽の出ている時にバラなどを撮っても影が写ってちっとも
画像が綺麗ではありませんが、太陽が出ていない時に撮ると影が一緒に映らないので
見栄えだけは、とても綺麗に取れます。
そんなわけで、午前中に出かけました。
植物園内では、日本の文化服装学院の主催している「きもの展」の真っ最中でした。 普段着る着物から、結婚式の打ちかけ衣装まで展示してありました。
展示室はとても暗いので、撮影しても写らないので画像は撮っていません。 バガテル植物園で何と言っても、有名なのはバラ園です。
各種たくさんのバラが、何種類とあり、毎年、バラのコンクールも行われています。 そして、賞を与えられたバラが、この小宮殿の前の花壇に植えられているのを見ることが 出来るのですが、今年は3月から暖かい日はなく、そのためにバラも育たなかったのか、
この周りにはバラはチラホラしか見当たらないのにはガッカリしています。
バラもほとんどのバラは咲かずに、
枯れている状態であるのはバラも植物なので気候には、敏感なのでしょうね。
それでもわずかに咲いていた、今年のバラを撮って来ました。 ここのバラは普通に名前のついているバラの他に、
番号だけで名前のないバラが沢山あります。
それらのバラは今年、来年、再来年....のためのコンクール用のバラです。 バガテルのバラ園で華麗で美しいバラはハイブリット、ティー・ローズです。
賞をとったハイブリット・ティー・ローズには大輪の美しいバラが多いです。 毎年、美しいピンクの大輪の花を咲かせてくれる MEILLAND のバラはありませんでした。 私の好きな「Joelle」も枯れてなかったし、淡いピンクの大輪もありませんでした。 ハイブリット・ティー・ローズは、1867年以降に作られたバラで特徴は四季咲き性が
高いことで、色彩が豊富なこと、そして花壇栽培に向き、
背丈の低いブッシュ咲であるということです。
花は大きく、葉も大きくて光沢があります。 イングリッシュ・ローズは、英国のバラ育種家 David Austin が
オールドローズとモダンハイブリッド・ティー(大輪四季咲きバラ)、
フロリバンダ(中輪多花性バラ)との交雑により作り出したバラです。
ほとんどの品種が四季咲き性で、オールドローズの魅力的な香りと花形、 モダンローズの多彩な色がマッチしたものです。 5/8/2008 庚申塚庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、
中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。 こうした庚申塚は日本全国の至る所で見ることができますが、
私の町でも昔は、道祖神も含めて72基ありました。 庚申塚にもいろいろな文字が刻まれています。
「庚申」が最も多く、ついで「幸神」、「幸申」、「猿田彦尊」、 「猿田彦大神」などがあり、あるいは無銘の石碑もあります。
人間の体内には三尸の虫がいて、
60日目ごとに回ってくる庚申(かのえさる)の夜に、
眠った体から出て天に昇り、 その人の悪事をあることないことを天帝に告げるために生命を、
縮められる、という中国の道教の教えがあります。 報告に行くのを防ぐために、 庚申の日に眠らずに夜を明かす風習が生まれました。
室町時代に入ると道教を底流として、仏教的な信仰が加わり、
庚申待ちをする講が結ばれ、
庚申塚(塔)を造って建てて行くことが始まりました。 庚申待ちの行事や、庚申塚の造立は人の延命、招福がありますが、 村の講演中の者が徹夜で飲み食いを取ることから、 村民の連帯にも繋がったと言われます。
江戸時代になると庚申塚もいろいろな種類を取って、
全国各地に造って立てられました。
道の傍らにある石仏の中で最も親しまれ、 現在でもお正月の3日には付近の者が集まって、
申緒を作り、庚申の夕べには塚の前で飲み食いを共にする風習が、 今でも残っていりとこあります。
似たものに道祖神(どうそじん)や賽の神さまと 呼ばれるものがあります。
悪疫を防ぐために各地の村の境に造って立てられ、 交通安全の意味を加えるとともに
人の一生を旅にたとえて、妊娠、出産、幼児守護、良縁、和合、 性病の神としての性格を持つようになりました。
男女を通して、生産神、田の神、山の神的性格を持つなどして、
その発展と変化は複雑です。
また、私の町にある庚申塚は一里塚として使用されていたものです。 4/25/2008 日本からラーメンが届きました。ブログをしていると辛いこともあるけれど、
また反対に嬉しいこともあります。
以前、ブログ仲間のネコのフーさんが、「北海道のラーメン」のことを
書いておられました。
インスタントもここまで進化していたか!
ラーメン好きの私にはたまらないお話です。
それで、フーさんにおねだりして、
このラーメンをパリまで送って頂く事にしました。
今日、アパートに帰ると、
ネコのフーさんが送ってくださったラーメンが届いていました。
フーさん、ありがとうございます。感謝、感激です。
パリにはラーメン屋は、何軒かありますが殆どがフランス人相手のためか、
日本人向けの味ではないのです。
そして、その割にはユーロ高で凄く高いのです。
早速、作っていただいてみました。(画像は撮るのを忘れました)
やはり書いてある通りとても美味しいです。
4/13/2008 2人大神が祀ってある赤崎神社 周防灘に面した竜王山のふもとに古式豊かな赤崎神社があります。 この神社には2人の大神がが祀られています。 大己貴大神(大国主命)と少彦名命(スクナビコナのミコト)ですが、大国主命は誰でもが知っていますが、少彦名命は余り馴染みのない神様だと思います。 そこで、ネットで少彦名命について調べてみました。
少彦名命は、スクナヒコナとも呼ばれて日本の神話に登場する神さまです。 古事記では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、日本書紀では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされています。 体が小さくて敏捷、忍耐力に富み、大国主と協力して国土の経営にあたり、医薬・禁厭などの法を創めたとわれます。 そこで、日本では、少彦名命(すくなひこなのみこと)が人間に医薬と農業を教えたとされています。
日本書記(720年)によれば、少彦名命は呪いが上手で医薬の道に優れているため、酒の醸造法を改良したともいわれ、酒を医薬として使ったとされています。 また、大己貴神((おおなむちのかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)と並称されるが、この場合は農耕や労働は大己貴神の行動として語られています。 古事記、日本書記には、この両神は兄弟の契りを結び、協力して国土を納めることに尽力し、医薬の道を大成されたと記載されています。
大己貴命(大国主命)は、古事記(712年)に鮫に皮を剥がれて傷ついた因幡の白兎の有名なお話があ、これは皮膚傷を治すことが記されており、まさに医薬に関係の深い神であることを示しています。この赤崎神社の由来は 日本書紀の物語に登場する大己貴命、少彦名命は九州に参詣して、大和国に帰る途中に須恵村の赤崎という浜に船を着けて上陸されました。この時、住民たちに漁業、塩業、農業の術を授けられました。
昔は、境内の北側は海になっていましたが、ここに「美奈登池」と呼ばれる池があり、潮水の混じらない湧き泉水がありました。 1272年、この地方に疫病が流行した時に奈良県桜井市の大三輪神のお告げにより、この泉水を飲んで治療し、疫病が伝染するのを免れました。以来、この奇跡で住民が幸せになったために大三輪神をこの地に祀ったと伝えられます。
そして、この神社にある数ある鳥居の中で珍しい形の三輪鳥居があります。これは桜井市にある大神神社の鳥居をかたどったものです。 1880年に、火災により社殿を焼失しました。1882年に再建されました。 春分・秋分の中日に朝早くお参りし七つの鳥居をくぐれば中風除けのお陰がります。 このような由来のある神社ですが、私が生まれたときに行ったお宮参りは、母の話では、この神社です。今まで何とも思っていなかった神社ですが、このような謂れがあったとは初めて知りました。 ☆ 少彦名命のお話については、「薬100話」のサイトからお借りしました。 http://www.sagayaku.or.jp/kusuri100w/kusuri100_09.htm 2/23/2008 サクラが咲いた2/16/2008 角島 実家に帰ると必ず連れて行っていただく場所があります。
私の家からは車で日本海に抜けて走り2時間ぐらいで本州の端に着きます。ここに角島大橋という山口県豊北町の角島と本土を結ぶ橋が架かっています。 島を結ぶ無料の一般道としては、日本一の長さを誇る橋です。万葉集にも登場する角島は人口約1000人の豊かな自然に恵まれた島で、周辺を最大透明度18mという美しい海域に囲まれた「北長門海岸国定公園」になっています。
訪れたのが冬の1月のためか天気も今一で、わずかに青空が出た時に綺麗な海を見ることができました。夏に行くと真っ青い海を見ることが出来るそうです。この島にかかっている大橋は車の宣伝のイメージフイルムになっているのをTVで見ました。
夏に行くと何と言っても綺麗なのが海岸に一面に咲いているハマユウの自然群生地です。未だに一面にハマユウの花が咲いているのを見たことがないので一度は見たいと思っていますが、なかなか機会がありません。
12/30/2007 大晦日12/25/2007 クレッシュ (馬小屋の事) ハレルヤ!で、はじまる救い主イエス・キリストの誕生です。
早速、クレッシュを見にあちらこちらの教会を周ってみました。 クレッシュとはキリストの降誕の場面を現わした馬小屋のことで、クリスマスの季節になるとどこの教会でもクレッシュが飾られています。これらのクレッシュには、夜半のミサの時に赤ちゃんのキリストが馬小屋に置かれます。つまり、キリストの誕生という事です。 クレッシュも教会によって特徴があります。この馬小屋の中には東方の三博士が加わっていないのが普通です。1月6日の「主の公現」の時に3博士が加えられます。
ヨセフとマリアの人形は変わらなくて背景だけが毎年、変わるというノートル・ダム大聖堂や、サン・ジェルベ、サン・プロテ教会など、また、大掛かりなクレッシュでその時代の背景を再現しているのはサン・シュルピス教会で、その時代の人々の生活を見ることが出来ます。
新しくクレッシュを変えたのはサン・ポール・サン・ルイ教会です。今年は現在的なマリアの像に変わっています。昨年までは陶器のクレッシュだったのですが。背景は変わらないけれどマリアの衣装が毎年変わる、サン・ジェルマン・デ・プレ教会。 また、子供たちに人気のあるサンタ・クロースといえば、赤いとんがり帽子に赤い服という派手ないでたちをした白いひげのおじいさんとして親しまれています。しかし、赤いとんがり帽子を始めとして、まっ赤な姿は、昔から悪魔のイメージとして民衆に定着していました。ニコラ司教の肖像画は、ミトラと呼ばれる司教冠とミサで着る祭服姿です。なぜ、ニコラがモデルのサンタ・クロースが赤づくめの悪魔の姿になってしまったのでしょうか。
聖ニコラの日には、ミトラに祭服という司教の扮装をしたニコラ役の男性と、赤い装束に身を包んだ悪魔役の若者が一組になって、家々を回ります。二人とも大きな袋を担いでいます。ニコラ役はプレゼント入り。悪魔役のはカラ袋です。良い子には、ニコラが自分の袋からプレゼントを出して与えますが悪い子には、悪魔が、カラの袋に放り込んで地獄へ連れて行くと脅します。来年は、きっと両親の言いつけを守ってよい子になると約束して贈り物をもらいます。
(サン・パウロ)のサイトより このような風習が今でも残っているのは北欧の方です。そのために、今でもクリスマスが近づくとサンニコラの姿で町の中を歩く伝統はあるようです。 12/4/2007 パリのイルミネーション クリスマスが近づくと、どこの通りも綺麗なネオンで飾られいるのが目につきます。 ヨーロッパのどこの町でも飾られてネオンのイルミネーションで街はいっそう明るくなります。 11月の下旬頃から、パリでも同じように通りは綺麗なネオンで飾られてクリスマス、それに続く新しい年を迎えます。 この季節がパリの街でも一番に、華や時ではないかと私はそう感じています。
今年も、街のイルミネーションの華やかな時が来ました。 ギャルリー・ラファイエット Galeries Lafayette のイルミネーションが11月に入ってから点灯されましたが、この何年か同じイルミネーションです。 最初に見たときは感激は大きかったのですが、毎年見ていると感激も次第に薄れていき、今年は見に行くのとを迷っていましたが結局はデジカメをもって会社の帰りに出かけてみました。
今では暮れの観光名所のようなものになっている、このイルミネーションです。 相変わらす人通りは多く、プランタンとラファイエットのショーウィンドーには子供くけの飾りをみる人たちで込み合っていて歩くのにも苦労します。
この後、RERに乗ってシャンゼリーゼ通りのイルミネーションを見てきました。 昨年までは豆電球のつながったワンパターンのイルミネーションでしたが、今年は昨年とは違い青白い光のイルミネーションです。
そして、画像には写らないのですが白い光の棒を伝って、光が流れるように工夫されています。 昼間見たときは、透明の長い棒が木から何本も下がっているので、何だろうとは思っていたのですが、このような演出がされているとは思いませんでした。 11/17/2007 水時計 ビジネス、商業、観光、娯楽というような、何でもは流行の先端を行くシャンゼリーゼ通り。この通りには、数多くのギャルリー Galerie と呼ばれるアーケード街のショーウィンドーは、パリの最新の流行を反映して外国からの観光客をを誘っているようです。
このアーケード街の一つに Galerie du Claridge の中には大きな水時計があります。以前、見たとこはとても大きな水時計だったのですが、何年か見ない間に形も変わり小規模な水時計になってしまったようです。それでも、明るいギャルリーの一番奥にあるために目立たないところにあります。ブルーのネオンの小規模にはなっても、何となく人の心を引くような水時計です。もちろん、現在でも正確に時を刻んでします。
水時計の高さは、ギャルリーの天井までの大きさで、透明の厚いガラスのケースに入っています。後ろから撮るのを忘れたのですが、時計の一番高いところから、柱時計のような振り子が下がっていて、それが左右に大きく振られる事によって、一番下にある大きなフラスコ・ボールの水を上まで汲み上げていきます。
一分ごとに上まで汲み上げられた水が上にある小さなフラスコに一杯になると向かって右側のメモリーの付いているフラスコに徐々に降りてきます。ここが「分」を示すメモリーです。右側にある60個のフラスコに水が一杯になると全ても水は下の大きなフラスコに返されます。それと同時に左側にある少し大きめのフラスコに水が移されます。左側のメモリーが「時間」を示すことになっています。
この水時計によると、私がこの前に立っていた時間は「午後1時10分」頃という事になります。 11/2/2007 ホテル サントリーニ・イーマジュ 出発が早かったので機内では食事もそこそこに寝てしまいました。気がついた時は、既に島の上空で飛行時間がとても短かったようにも感じられました。現在、パリとギリシアの時差は1時間で、時計を見て9時と思ったときは、10時でした。小さな空港なので飛行機も着陸すれば即、バスが迎えに来るといった状態です。
私たちが宿泊するホテルは空港から3,4kmのところにあります。旅行社の方からホテルからはカルデラ海と島は見えませんよ、と言われたいたのですが、ホテルからは海と島が見えるのです。
友達が、「確かに、海と島は見えないと言われたのに、見えるわね?」と言うし、
不思議だねぇ.....
実際に、ホテルから見えていた島は外海にある島だったのです。 私たちは宿泊しているホテルは、「サントリーニ・イメージュ」という名前で、日本でも知名度があるらしくて、日本人のグループを何組かホテルで見かけました。このホテルは傾斜地に建っているので、一番高いところにレセプションがあり、そこを出ると、中央に大プールを囲んだ形で部屋が立ち並んでいます。
この島の地形そのものが傾斜地をなしていると言って可笑しくはないくらいです。私たちの部屋は残念ながらプール側ではなく、外の広い荒地の見える側でした。私たちの部屋のテラスからは遠くにヒラの町が見えるし、島自体はさほど大きくないのだと思いました。 10/20/2007 サントリーニ島 ギリシアのエーゲ海を見ると、真ん中あたりに円を描くように集まっている島々を、称してキクラデス諸島といいます。この「キクラデス」とはギリシア語の「キクロス」、つまり「輪」という意味からきています。
サントリーニ島はこのキクラデス諸島の中にあります。日本やヨーロッパではこの島の名前をサントリーニと呼びますが、ギリシアの正式名はティラといいキクラデス諸島の中でももっとも南にある火山島です。今のような三日月形の島になるまでは、何度も噴火があったといわれます。
サントリーニ島の起源はギリシア神話にさかのぼり、海神ポセイドンとヴィーナスの息子であるトリトンによって作られた地のかたまりの島です。その島は最初は丸い形をしているために「円虫」と呼ばれていました。この島の最初の開拓者のことは、今でも分かっていませんが、紀元前2000年ごろに、ドーリア人が最初にサントリーニ島に住み着いたとされています。
最初の開拓者達は島を Kaliste “もっとも美しい”呼んでいましたが、紀元前1500年の大規模な火山の噴火で島の中心部が海の中に沈没してしまい、今あるような島に形になりました。
この島は日本の富士山のような大きな山が島の中にあって、ある日、この大きな山が、大噴火を起こして富士山の五合目から上が海の中に沈んでしまって、頂上だけが海の上に出ていると想像すると理解できると思います。そのために島全体が、カルデラのある火山島に向かって傾斜しています。
また、サントリーニ島の景色は、他の島と比べて随分と違った印象を受けます。船の着く港は、赤茶けた断崖の壁のように立ちふさがっている島の姿に驚かされ、その断崖のてっぺんには白く雪が降っているように、ぴったりと立ち並ぶ白や水色の屋根の家々が見えます。この島の、厳しい自然と白い家の強烈なコントラストが魅力となっています。遠くから見ると、これがちょうどチョコレートケーキに砂糖が降ってあるように見えます。
サントリーニ島には古代から人が住みついていたことから、クレタ島のミノア文明よりも以前にキクラデス文明という素晴らしい時代がありました。その文明が一瞬にして歴史の舞台から姿を消したため、今でも、ここが幻の大陸アトランティスだったのではと噂されています。景観といい、こうしたアトランティスの伝説が生まれても可笑しくはない島でもあります。 10/11/2007 ロバの背の体験記 島についた日に、食事をとった後にこの町をしばらく散策することにして見ました。これと言って見るものもなく荒地の中を歩いていると、向かい側からロバの背に乗ったおじさんとすれ違いました。横のりで見ているだけでもかっこよくて、このようにロバに乗れるなら.... と、思っていつか、ロバの背に乗る日が来るのを楽しみにしていました。
この島に来て3日目に、カルデラのある火山島に船で見学に行きました。帰りに |